勧めの言葉 主の奉献 2014年2月2日

     見よ、彼が来る   ― キリストとの出会いの場 ―

 今日は、主の奉献の祝日です。4、5世紀から「マリアの清め」の祝日とされていたこの日は、「主の奉献」という古代の名称に戻されました。これは、私たちにとって、主キリストこそ中心であり、主キリストによって私たちは照らされ、導かれ、救いにあずかるという教会の信仰の宣言でもあるのでしょう。
 今日、一人の幼子が神殿に捧げられました。多くの幼子たちが捧げられている中で、誰が、この幼子の内に神の権威を見る事ができるのでしょうか。儀式が終われば、幼子は神殿を後にしますが、人々の中を通り過ぎる間に、誰が、幼子の内に神の救いを見る事ができるのでしょうか。
 そこには、出会いの場としての要素があります。神の「ことば」と、神の約束と、神の「ことば」にたいする忠実と希望です。
 ヨゼフとマリアは、想定外の出来事続きの中で告げられる神の「ことば」への信頼によって、主イエスを受け取りました。しかし、今、ヨゼフとマリアは歴史を通してイスラエルの民を導いておられる神への信仰によって、モーセの律法を忠実に果たそうと神殿に幼子を捧げます。また、シメオンもアンナも主の前にあって忠実であろうとし、主の約束に希望をおいていました。その中にあって二人は、主イエスと出会うように導かれ、主イエスに出会うように照らされ、主イエスを受け取る恵みをいただいたのです。
 私たちも、自分たちの思いの実現のために主の前に立つのではなく、主への忠実と主への希望の中で立つ事ができますように。その歩みの中で、主は、聖霊は、私たちが真の救いそのものである「主キリスト」と出会う事ができるように導いてくださいます。そして、今日も私たちは、主の呼びかけに忠実に応えようと集うその出来事の中で、主キリストと出会い、交わるのです。

 主の栄光が私たちの内に現れますように。アーメン。          主任司祭 高野哲夫

                                                  

 

 

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