私たちは、キリストの言葉に魅力を感じました。私たちは、キリストの生き

方に惚(ほ)れました。私たちは、キリストの力に期待しました。しかし、私

たちはキリストの十字架の前で逃げてしまいました。キリストを「知らない」

と言ってしまいました。いや、むしろ、キリストは、私たちの期待を裏切った、

と切り捨ててしまいました。そんな中で、キリストの「わたしは死に渡される

が三日目に復活する」という言葉は、戯言(たわごと)のように感じていました。

 しかし、その言葉が実現しました。私たちに対する赦しと共に実現しました。

私たちへの愛と共に実現しました。「あなたがたに平和があるように」と・・・。

 私たちは、信じられませんでした。悟(さと)ることができませんでした。

理解できませんでした。主が真に復活されたことを。主の言葉が実現したこと

を。目の前で行われた出来事が、主の言葉の実現であることを。

 そんな私たちに、主ご自身が降りてこられ、何度も、何度も現れてください

ました。私たちが信じない者になるのではなく、信じる者となるように。何度

も、何度も・・・。私たちは、その中で、少しずつ信じることができているの

でしょうか。

 いま、主は私たちから離れようとされています。天に昇ろうとされています。

父の右の座に着こうとされています。私たちに言葉を残して。「力が覆(おお)

われるまで、都にとどまっていなさい」と。

 私たちはまだ、理解していません。できていません。しかし、私たちは、「あ

の時」、キリストが死に渡される時のようではありません。キリストと引き離

される悲しみの中にはいません。「死」を突きつけられて逃げ出すことはあり

ません。キリストの言葉が、不安と恐れの闇の中に紛(まぎ)れてしまうこと

もありません。私たちは、待つことができるでしょう。とどまることができる

でしょう。キリストの約束のうちに。希望をもって。・・・聖霊きてください。

急いで来てください。私たちは、待ち続けます。キリストを信じる者たちとと

もに。       

                                                                2013年5月12日 主任司祭 パウロ高野哲夫